言葉を編む
私は両親と自分だけの核家族で育ちました。私が幼い頃、両親は仕事が忙しくて、朝早くから夜遅くまで働いていました。だから私には一緒に遊べる相手がいません。とてもさみしい思いをしたことを、今でも覚えています。
私は絵本や児童書、小説など、どんな本でも読みました。小学生時代は図書館の本を片っ端から読んでいたことを覚えています。また国語の教科書も大好きで、学校から配布された当日に最後まで読みました。そのくらい「本の虫」だったのです。
私がひらがなを覚えたのは、3歳のときだと母子手帳に書かれています。友だちの家に行くと一緒に遊ぶよりも、そこにある本を読むほうが好きな子どもでした。
私は文字が好きでした。内容よりも、そこにつづられている文字を眺めることが楽しかったのです。そして少しずつ語彙が増え、言葉の意味が分かるようになりました。すると私は文字に加えて言葉の美しさにも、強く惹かれるようになっていきました。
文字が好きだった少女は、言葉の美しさに魅了されるようになりました。そして文章を書くことに興味を持ち始めたのです。自分が書いた文章や詩を褒められたり、高く評価されることがうれしかった。私にとって何よりのごほうびでした。
だけど私は、言葉を音声にして発することが苦手です。うまく話すことができません。それが原因でいじめられたり、弁の立つ人たちから支配されてきました。私はそれらの記憶に、今も苦しめられています。
私は4年ほど前から、カウンセリングを受けています。自分がなぜこんなに生きづらいのか。なぜこんなに苦しんでいるのか。カウンセリングを受けることで、少しずつその答えが見えてきました。
私はセッション中も、言葉に詰まってしまうことが多々あります。伝えたいことはたくさんあるのに、話せないのです。とてもつらく、悔しい思いでいっぱいになります。すると感情がたかぶって、余計に話せなくなるのでした。
ある日セッションの終わりに、心理士さんが私に伝えてくれたことがあります。「言葉を編めるようになってきたね」と。それを聞いた瞬間、私は幸せな気持ちに包まれました。私にとって何よりのほめ言葉です。そして私の努力を認めてもらえた。それが本当にうれしかったのです。
「言葉を編む」。たったひと言ですが、とても重みのある言葉です。私は今でも話すことに自信がありません。言葉がすらすら出てくる人に憧れがあります。だけど言葉に詰まってしまう自分も、認めてあげられるようになりたい。ありのままの自分を、まるっと包み込んであげられるようになりたいです。そしてこれからも言葉を編んでいきたいと思っています。
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