なしえが歩んできた道
何度かに分けて記事にしていく予定ですので、ぜひ最後までお付き合いください。
私の人生を一言で表すとしたら、何がふさわしいのだろう。そう考え始めてから、だいぶ時間がたちました。私は現在47歳、アラフィフといわれる年代です。これまでの47年間は、どちらかといえば苦しいこと、悲しいことの多い人生でした。それを表す最も適切な言葉は、まだ見つけられていません。これから少しずつ、自分の人生を振り返りながら探していけたらと思っています。
私は両親の間に生まれた初めての子どもです。父は会社員、母は出産と同時に専業主婦になりました。私の持つ一番古い記憶といえば、真っ暗な部屋に一人取り残されたときのことです。のちにこれは3歳になったばかりのことと知りました。
私の両親は夫婦仲があまりよくなくて、頻繁にけんかをしていました。怒鳴りながら、物を壁に投げつける父。大声で泣き叫びながら、家を出ていく母。そんな光景が週に1度はありました。私は隣の部屋で布団を頭まで被り、声を殺して泣いている。これは私が成人しても、回数こそ減りましたが続いています。
母はストレスがたまっていたのでしょう。怒りの矛先は、幼い私に向けられました。しつけとは言い難いほどの厳しい扱いを受けた私は、いつも怯えていました。さらに母は感情の起伏が激しくて、気分屋でもありました。だから同じことをしても、褒められるときと叱られるときがあるのです。私はどうしたらよいか分からないので、常に母の顔色をうかがっていました。こういった一貫性のない対応に混乱していましたが、幼い私にはどうすることもできません。ただただ叱られないようにと願うばかりでした。
この頃の父はどうしていたかといえば、仕事が忙しくて早朝から深夜まで、会社にこもっているような生活をしていました。そのストレスを家庭で発散させていたのです。些細なことがきっかけで突然怒り狂う姿は、恐怖そのものでした。そのため私はあまり父のそばには寄りつかなくなりました。私にとって父は、ただただ恐ろしい存在だったのです。
一般的に両親が揃っているのは、幸せなことだと思われがちです。しかしながら、こういった家庭も少なくないのではないかと、最近思うようになりました。外側から眺めるだけでは見えてこないもの。それを私は知ってほしい。高いところからただ眺めていないで、覗き込んでほしい。そこには助けを求めて泣きじゃくる子どもがいるかもしれません。衰弱して声も上げられない子どもがいるかもしれないのです。支援者と呼ばれる方たちには、表面的な状況だけでなく、その内側までしっかりと見てあげてほしい。これが私の願いです。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。またお会いできたらうれしいです。
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